まだまだ冷える二月中旬。マフラーをぐるぐるに巻いていても寒いものは寒い。息を小さく吐くだけでも鼻の先の空気が白く曇る。それが寒さを更に強調している気がして鬱陶しかった。肩をすくめながら歩いていると聞きなれた能天気な声が後ろを追ってきた。


「おーい。ー」


この声がするときは、大概何か面倒くさいことが起こる。鬼男くんに見つからないように匿ってくれとか、溜めていた生徒会の仕事を回されたり。生徒会のメンバーは、閻魔と太子と鬼男くんと妹子と曽良くんと私の6人に顧問の松尾先生。そのなかで、私と、閻魔と太子と私は同学年で他の三人は一個下の学年といったところ。私も一応生徒会の人間だから、生徒会の仕事をすることに全く異論はないのだけど、だからといって、閻魔や太子の溜め込んだ仕事までやるのは、なんか納得がいかない。


ー!無視しないでぇー」


はぁ…今日は何言われんのかな…。
観念して立ち止まると、閻魔が待ってましたとばかりに私の前に回りこんだ。そして限界まで開いた手のひらを上に向けて、私の前に突き出してきた。そして、語尾にハートがつきそうな勢いで(なんかムカつく…)言い放った。


「恵まれないオレにチョコちょーだい?」

「…はい!?」



閻魔は叫んだ私をみてキョトンとした顔で話す。



「だって…だって…明後日バレンタインだよ?」

「知ってるよ」


今年のバレンタインは日曜日だから、今日の12日か、月曜日の15日が代理バレンタインデーとされるのだろう。いまどき、バレンタインにチョコを持って告白。なんてする人がいるのか知らないけど、いたら可哀想だなと思う。やっぱりこういうのってちゃんと14日に渡したほうがいいんだろうし。本命チョコを用意するどころか、渡す人さえいない私には、関係のない話だけど。


「じゃあ、チョコくれ。ちゃーん」


相変わらずきらきらした目で、更に右手をずずいっと私の前に突き出してくる。いつもはそんな呼び方しないくせに、『ちゃん』なんて呼んでくるし。閻魔のカバンにはいつも食べかけのチョコとか飴が入ってるから甘いものが大好きなんだってことは知ってるけど、そんなにチョコが欲しいのか…。男子は『義理』ってわかりきっていてもチョコを欲しがるって聞くけど、その心理はよくわからない。『本命』だからこそのチョコじゃないのかな。


「くれって言われても…今日持ってきてないし」

「うそつけ!アホ!じゃあその手にある紙袋は何だ!」

「これは友達の分だもん。閻魔にあげたら、足りなくなっちゃうし」


ぷんぷん。とかいって唇を尖らせながら文句を言う閻魔の姿は確実に小学生の姿だった。高校生には絶対見えない。「オレだってチョコ欲しー」なんて駄々をこねて、歩きだした私の後をついてきた。まだ納得がいかないらしい閻魔は不満ににじみ出ている声で一般論を述べたきた。閻魔に『普通』とか言われるとなんかムショーに腹立つ。


「普通さぁ、いつもお世話になってます。って感じで周りの男子にも配るんじゃないの?生徒会の人とかに」

「鬼男くんと妹子と曽良くんと松尾先生には持ってきたよ」

「えぇっ!?なんでオレは無いの!太子もだけど!」


持ってきてないってはもちろん冗談。一応二人にもちゃんと持ってきた。でも、先に言われるとなんだか渡しづらい。だって閻魔が考えてるようには立派にはできてないだろうから、変に期待されても困る。貰えるってわかってない人に渡したほいうが多少見た目が悪くても喜んでくれそうな気がする。


「太子と閻魔にはお世話になってませーん。むしろ毎日迷惑かけられっぱなしじゃない。」

「曽良くんだって、いつも本読んでるだけじゃん!」

「バカね。曽良くんに持ってこなかったら私、殺されるに決まってるでしょ。」

「…そっか」

「そうだよ」


閻魔も私のように、曽良くんの断罪シーンを思い浮かべたのだろう。それまで騒いでいた閻魔がいきなり静かになった。恐るべし曽良くん。
その後も教室に着くまで、ずっと閻魔はチョコチョコ連呼してたけど、聞こえないフリをし続けることにしておいた。そして互いに違う教室に入ろうと廊下でわかれる直前、閻魔は舌をべーっと出しながら捨て台詞を吐いていった。


「いいもーん。に貰わなくても他の子に貰うもんねーだ。」


誰のでもいいのか!お世辞でも「のつくったチョコが食べたーい」とか言えよ!ムカつく。ホントに腹立つ。もう絶対閻魔だけにはチョコあげない。
教室に入るとすでに何人かの女子がチョコの交換を始めていた。それに混じって私も紙袋の中身を減らしていった。そして、昼休みになるころにはチョコは順調に少なくなっていた。残りは五個、松尾先生以外の生徒会の人数分。松尾先生には三時間目の古典の授業のときに既に渡しておいた。予想通り、先生は「松尾チョコ大好き!」と喜んでくれた。

残りの分も昼休みの内に渡そうと、隣のクラスをのぞいてみた。閻魔と太子は同じクラスで、根本的なところが似てるからか二人はものすごく仲が良い。大体いつも一緒にバカやっている。でも今日は珍しく、太子が一人で机の上のおにぎり達をたいらげていた。どうでもいいけど、この教室すごくカレー臭い。


「太子ー、これあげる。」

「なんだコレ?」


太子は袋を開けて中身をのぞいた。そしてなんだコレ?とか言ってたわりに早速口に運んだ。


「うままっ!でもカレーじゃなかった…」

「カレーだと思ったの!?」

「思ったの」

「(アホすぎる…)太子、閻魔はどこにいんの?」

「うーん。知らんけど鬼男くんのとこじゃないか?」

「ふーん、そっか…」


教室にいたら太子と一緒に渡しちゃおうかと考えてたんだけど…ますます渡しづらくなってきた。とりあえず妹子と鬼男くんと曽良くんに先に渡しに行こうと、紙袋を持って、ひとつ下の階に向かった。
曽良くんには渡した途端、その場で試食会となった。何を言われるか、というか断罪されないか、どぎまぎしていると「まぁまぁですね」とお許しを頂いた。ははは…よかった。ほんっとによかった…。
それに比べて妹子からは「ありがとうございます、先輩。お返し楽しみにしていてくださいね」なんて素敵な言葉が返ってきた。癒されるわ…妹子。

そろそろ予鈴が鳴りそうかな。急いでそのまま鬼男くんの教室に向かった。すると、ちょうど教室から出てきた鬼男くんと廊下で会った。


「あ!鬼男くん!」

先輩。どうしたんですか?」


私は、普段昼休みもほとんど教室の中で友達と話してるか、閻魔と太子のとこに居ることが多い。だから私がこの階にいること自体珍しく感じた鬼男くんは、何か用事でもあるのかと考えたみたいだ。


「明後日はバレンタインだからね!チョコ持ってきたの!」

「え、ぁっすみません。僕、今日何も持って来てなくて…」


普通男子は友チョコを交換することもないのだから、わざわざこの日のために何か持ってくることはないだろう。なのに、申し訳なさそうに言う鬼男くん。開口一番にチョコを請求してくるような閻魔とちがって、なんて律儀なの。


「いえいえ!気にしないで。いつもお世話になってますってことで。」

「ありがとうございます。でも先輩にはむしろ助けてもらってばかりですよ。主に仕事を放棄して遊びに行った大王イカを連れ戻したり、逃げ出そうとする大王イカに仕事させたり」


鬼男くんの笑顔がどんどん黒くなっていくのを見ると、今更ながら鬼男くんのいつもの気苦労が感じられた。笑顔のままなのが逆に怖い。閻魔の話になって、そういや鬼男くんのところにも閻魔はいなかったな、と頭の方隅で思った。


「あのセーラー野郎、先輩の言うことだけは聞きやがるんですよ」

「えぇー、そんなことないよ。閻魔連れ戻すの苦労するもん」

「でも、なんだかんだ言って先輩が言えば戻ってきますし…」


しばらく二人でそんな世間話、もとい閻魔の愚痴をこぼしていると、噂をすれば影、話題の張本人の姿が廊下の向こうに見えた。「鬼男くーん!聞いて聞いて!」と右手をぶんぶん振りながら遠くから全力のスキップでこちらに向かってくる。閻魔はまわりに花畑でも見えそうなオーラを振りまいていた。
私と鬼男くんの前まで到達した閻魔は、鬼男くんの手に握られている袋を見て叫んだ。


「あぁーーっ!鬼男くんからチョコ貰ってる!オレにはくれなかった癖に!」


う…面倒くさい時に来たなぁ。もういいや。やっぱり閻魔にも渡しちゃおう。また拗ねて、後でそのことを盾にわがまま言われてても困るし。そう思って紙袋から最後の一個を取り出そうとしたとき、閻魔の手にある淡いピンクのハートが目に入った。手が止まった。まるで心臓が耳の横に引越ししてきたみたいに、自分の鼓動がへんに大きく聞こえた。口を開いても、胸に突っかかってる何かが、言葉が出てくるのを遮っている。足の芯のようなところに変な震えのようなものを感じて、地に足を着いている感覚がまるでしなかった。


「おや、その箱はなんですか?」


鬼男くんも閻魔が手に持っている箱に気づいた。そして、私が聞けなかったことを一言にまとめて口にした。閻魔はそれに対して得意げな顔をする。いつもはイラッとするその態度も、なぜか今回は不安な気持ちを助長するだけだった。


「よくぞ聞いた鬼男くん。これはとある後輩からもらったチョコだ!『あの…先輩のことずっと好きでした!』って言われちゃったもんねー!話したことのない女の子ですら惹きつけてしまう、この魅力。もはやオレの魅力は罪だね。ふふふ、羨ましいでしょ、鬼男くん。」


内股で赤面しながら、胸の前でもじもじさせながらの、とある後輩の演技があまりに腹立たしかったのか鬼男くんは無言で閻魔の顔に爪を立てた。閻魔は「え…後輩に容赦なく刺された…。」と顔を左手で抑えながらショックを受けていた。予鈴のチャイムが鳴り出した。廊下で話をしていた生徒たちもだんだんと自分たちの教室へと戻っていった。閻魔は朝のことを根にもってか、私に向き直ると、にやっと笑って、チャイムの音の中で言い放った。


に貰わなくても、他の子に貰ったもんねーだ!」


ほんとに貰えれば、誰でもよかったんだ。やっと体が動くようになった。私は紙袋ごと閻魔の顔面めがけて投げつけた。なんでかは分からないけど、苛立って仕方がなかった。閻魔がまた顔を抑えて「な…いきなり何すんだよ!」と叫んだ。いきなり私が紙袋を投げたのに驚いたのは閻魔だけでなく鬼男くんも同じようだった。むしろ鬼男くんのほうが目を見開いて絶句していた。


「ふざけんな!死ね!バカ閻魔!」


わずかに残っていた周りの生徒が私の怒鳴り声に驚いて、固まった。そして、不審がるようにみたり、わざわざ教室から出てきてこちらの様子を伺ったりする人もいた。私は、閻魔と周りの目線から逃げるように、自分の教室のある上の階まで走っていった。


その後の授業なんて受けてる意味があるのか謎だった。先生の声が耳に入っても、まったく脳にまで届いてなかった。閻魔の手にあったピンクの箱を思い出しては、苛立ちが増していった。そしてあっという間にHRの時間。担任の平田先生が、明日の予定やら、掃除当番のことやら話してる間にカバンに持って帰る教科書を詰め込んだ。そして、日直の号令をスタート合図がわりに、教室を飛び出していった。隣の閻魔のクラスはまだ終わってないみたいだ。急いで、下駄箱に駆けていって、靴をできるだけ早く履き替え、校門を目指す。会いたくない。少なくとも今日は絶対閻魔に会いたくない。どういう態度をとっていいかわからないし、これ以上、イライラするのは御免だ。


適当に歩いていたら、砂浜とブランコだけの小さな公園に着いた。この時間帯は、放課後の小学生などがたくさんいそうなものなのに、誰もいない。代わりに寂しさと静けさが、そこには横たわっていた。日が短い2月は、もうこの時間でも空が淡い青からオレンジへと色を移り変えてきている。私は、夕日の光を浴びてほんのりオレンジを身に纏ったブランコに腰掛けた。ぎいぎいと鎖の軋む音だけが耳に届いた。


閻魔はあんなでも、一応モテるらしい。すごく納得がいかないけど。子供じみたところも恋する乙女にとっては、きっと長所となり得るのだ。かわいいとか言われて。多分それは、近くで見てないから言えることだ。みんな閻魔を知らないからそうやって言うのだ。実際はバカだし(成績はいいけど)、ヘタレだし、仕事しないし、変態だし、イカだし。みんな、閻魔を知らないんだ。私は知ってる。いっつも迷惑かけられてるし、他の人よりずっと長く一緒にいる。閻魔のこと何にも分かってないくせに、好きだなんて…バッカみたい。閻魔もなに喜んじゃってるのよ。変態セーラー野郎なんて知られたら、どうせすぐフラレるに決まってる。


――…閻魔は、後輩の告白になんて言ったのかな。断っちゃえばいいのに。話したこともないからって、断ればいい。人の告白を失敗しろなんて、自分でも嫌なやつだとは思うけど、でも、もうどうしようもない。だって、どこにも行ってほしくない。今みたいに二人でどうでもいい話をして、くだらないことで笑って、そうやって一緒にいたい。

なんだ…私、閻魔好きだったんだ。これがよく言う『失ってから大事さに気付く』ってやつだろうか。自嘲的な笑いがこぼれた。目を瞑っても、夕日の光が残って、目の奥が沁みる。頬が濡れた。空はオレンジから更に色を変えていようとしている。


手に持っている音楽プレーヤーの表示画面を見れば、もう既に五曲目が終わりかけていた。アコギの音とボーカルの掠れた声が、耳に木霊した。やがて、紫がかった濁ったような青が、空に訪れた。あたりがなんとなく薄暗く、視界が暗い。山の向こう側から、まだわずかに、太陽がオレンジの光を空の低いところに残していた。大分もう、手や膝が感覚がなくなっていた。頬や鼻も刺すような寒さにすっかり冷たくなってきた。イヤホンの外から、冷えた耳が砂の踏んだ音を聞いた気がした。俯いて、自分のローファーの足先を眺めていた私の視界に、自分とは別の足が、こちらを向いて立っているのが見えた。耳からイヤホンを外しながら、ゆっくり顔を上げた。


「なんで、閻魔がここにいんのよ」

「ぇ、ひどっ…。」


私がむすっとした顔で、また視線を自分のつま先に戻した。閻魔は私の言葉に「できれば、もうちょっと優しい言葉で…」と小さく抗議をしていたけど、私が顔を上げないことに困ったんだろう。さっきとは随分違った静かな声色で「昼休み、が泣いたのかと思った」と独り言のように言った。
それに私はできるだけ感情を込めないで、「別に泣いてない」と返す。その時はまだ泣いてない。さっき泣いてたけど。いつまで経っても態度の変わらない私と違って、閻魔はまたいつものふざけた調子でにやにや笑って、からかうような口調で話し出す。


「ふふふ…お前、オレのこと好きなんだろー」

「はぁ!?」

「だってさぁ、あの行動は確実にやきもちを焼いてるとしか考えられないないよねぇー。うんうん、わかるわかる。ツンデレってやつだよね。まぁ、色気溢れるオレの近くにいたら惚れちゃうよね。悪いのはオレの魅力かぁ…。」


ムカつく。確かに数十分前に私は閻魔が好きだという事実を見つけたけど、本人にこう言われると本当にムカつく。実際、私は閻魔が一応好きだけど、その自信はいったいどこから来るのか。閻魔は絶えることなくひたすら喋り続ける。それを私が険しい顔で睨むと、閻魔はその視線に気づいて、自信ありげな笑みを浮かべたまま、ちらりとこちら見た。顔は笑ったままだけど、目の奥には真剣さがある気がして、言われてることは同じなのに今度は変な不安のようなものを感じた。


は、オレのこと好きなんでしょ?」

「…な、何言ってんの」


ふと、閻魔の顔から笑みが消えた。こんな顔初めて見た。いや、前に一度だけ、閻魔が本気で怒ったときにみた顔と似てる気がした。だからか、真剣な閻魔の顔に少し緊張した。恐怖に似た感情すら、感じた。閻魔はそんな目で私を見据えながら、「ねぇ、どうなの?」と再度聞いた。私は声が震えそうになりながら、下を向いて、目をかたく瞑って吐き出すように言った。


「…そんな訳、ないでしょ!」

「オレは好きだよ」


私の言葉に、閻魔が静かに言葉を重ねた。瞬間弾かれたように顔を上げた。声が出ない。それどころか呼吸も止まった。閻魔はゆっくり私の前まで近づいてきては、片膝をついた。今まで私が見上げ、閻魔が見下ろしていたのが、逆転。私が見下ろして、閻魔が僅かに見上げる姿勢になった。「手、出して」と言われた私は左のてのひらを閻魔に差し出した。閻魔は、左手で私の手を下から支えるように、軽く触れ、右手でポケットから取り出した何かを私のてのひらに乗せた。それは、コンビニで数十円で売ってるような、小さな小さな四角いチョコレート。それをとても大切なもののように、私に握らせるように私の左手ごと、閻魔の両手が包み込んだ。そして私の目を深く見ては、もう一度同じセリフを繰り返す。今度はゆっくり、語りかけるように。


「オレは、好きだよ」


閻魔の言葉が、私の涙の防波堤を崩していく。私は空いてる右手で涙を拭った。拭っても拭っても、涙が後から溢れてきた。目の前もなんも見えないけど、きっと閻魔は泣き出した私をみて、少し焦ってるに違いない。私はそんな閻魔に、かろうじて声をしぼり出した。閻魔…死ねとか言ってゴメン。バカとか言ってゴメン…。謝る私を見て、閻魔が困ったように笑った気配がした。私はそのまま、喋り続けた。きっと、涙が無駄に張っていた意地をも溶かしているのだ。


「好き。閻魔が好き、好き。大好き。」


一瞬、目を見開いて、それから思いっ切り満面の笑みを浮かべた閻魔が涙の向こうに見えた。


「オレと素敵な恋しようよ」





Let's Falling Love!


(このチョコ何…?)(逆チョコだよ。わぁー知らないの〜?)(むっ…知ってるよ。失礼な)
(お返しはがセーラー服きてくれればいいよ)(死ね!)

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