わからない。
わからない…わからない。
肩からずり落ちそうになった鞄を持ち直し、はあーっと本日何度めかの盛大なため息を漏らした。とりあえずつららがいなくてよかった。あいつがいればきっと大騒ぎだっただろうし。
いつもの景色も今の僕のレンズには映らなかった。映画を観たあとのようなぼうっとした気分で最寄り駅を降り、時間帯的に夕日に照らされていたであろういつものアスファルトを歩く。気付かぬうちに家に着いていた。
「リクオ様、お帰りなさい」
ふよふよと首を浮かせて出迎えた首無。僕の下僕。
「あらリクオ様、お帰りなさいませ。リクオ様の好きな鮎最中買って来たんですよ。いまお茶を入れますね」
洗濯物を持ったままそう言って、立ち去ろうとする毛倡妓。僕の下僕。
…下僕だなんて…っ!
「首無、毛倡妓!助けてぇー!」
「「リ…リクオ様ーっ!!?」」
一時パニックになった僕らだったが、落ち着きを取り戻してから2人を僕の部屋に通して、3人で鮎最中を魚に緑茶をすすった。鮎最中とは、柚あんこが入った鮎の形をした最中。昔からこれが好物だ。でもそんなことは今の僕と2人には関係のないことだ。どんな話が僕から飛び出してくるのか、今か今かと待っている。チラチラお互いに視線を交わしながら、少し緊張しているみたい。
「…リクオ様、なにか悩みがおありなのですか?私で良ければ打ち明けて下さい、ね」
「え、あ、うん。えーと…」
うー、顔が熱いなあ。
「えと、今日、放課後に、うちのクラスの女の子に呼び出されて…」
「奴良くん、今日の放課後時間ある?」
突然、10分休みのときに話しかけてきたのは、同じクラスの吉高恵美ちゃん。理科の実験の班やらなにやら一緒のことが多い。いい意味で目立ちすぎず、でも話しやすくて好印象な子だ。
「いいけど…珍しいね、吉高さんが僕に用なんて」
そうだ。「クラス」の枠から外れればお互い用事はない。だから凄く詳しく彼女を知っているわけではないから正直言って拍子抜けだった。
「あ、雑草ある場所でもあったかな。昨日は掃除したんだけどー…」
「いや違うよ。いいからいいから!」
そうあわてて言ったのと、チャイムが鳴ったのはちょうど同じころだっただろうか。
「ははー、それで、コクられたんですね?やりますねリクオ様!」
「あーもーやめてよ毛倡妓!てゆかなんでわかるの?」
ご名答!と拍手したいところだ。勘がいいのかなんなのか。…みんなわかるのかな、普通は。
血がぐんぐん上へ上へ昇り、顔がとても熱い。絶対に真っ赤だろうな。何故か涙腺も緩み涙目になる。
「ああ、ほらリクオ様あんこが!」
勢いで鮎最中を強く握ってしまい、柚あんこが不様に飛び出していた。慌てて首無が、鮎最中は強く握らないで下さいねと言い、新しい鮎最中と不様な鮎最中とを取り替える。
「それで、リクオ様は彼女に何と答えたのですか?」
「うん…」
放課後、昨日雑草掃除した場所に連れてこられ(つららは先に帰らせた)話を聞いた。吉高さんは凄く顔を赤らめながら、
「ずっと好きだったの」
一生懸命に言ってくれた。僕の耳は周りの音をすべて遮断したため、無音の世界に放り投げられた。
数秒間なにも答えず硬直してしまった。体感では数時間だが。
返事、返事をしなくちゃ。
「『僕まだそういうのわからないんだ。だから…ごめんね。ありがとう』って言ったんだ…ね、よく考えたら最低だよね!人が一生懸命に言ってくれたのに“わからない”って、なに!?まずはじめに雑草掃除頼まれるのかと思っただけで無神経すぎるだろ!」
落ち着いて下さい、と言う首無に、もう本当こんな僕についてくる下僕たちに申し訳ないよ…と言うと、それは違うと真剣に言われた。
すると毛倡妓が勢いよく言った。
「大丈夫です、無神経なら首無の奴のが上です!こいつなんか今まで何人女の子たぶらかしてきたことか!」
「ちょっと毛倡妓、人聞き悪いな!たぶらかしたことなんかないよ」
「はん、どーだかね」
今度は首無が不様な鮎最中を生み出しそうだった。テンポよく繰り広げられる口喧嘩は見物だ。
曖昧に終止符を打った口喧嘩のあと、首無が言った。
「リクオ様は無神経なんかじゃないですよ。素直にそう思われただけなんですから。それに今までリクオ様は幼少期は妖に夢中になられ、今は3代目を継ぐことに夢中なのですから、他のことに気が回らないのは当たり前のことです」
うん、と軽く相づちをうって一口緑茶をすすった。すっかり冷めたお茶はいままでで一番不味かった。
「でも…吉高さんには悪いことしたな、首無が言ったのが本当だとしてもさ。でも僕まだわからないんだ。その…好きとか、恋、とか。僕が首無や毛倡妓のことを好きなのとはまた別なんでしょ?」
2人ともほぼ同時にお茶をすすり、首無が
「そうですね…。また別です」
と少し笑い
「その違いって難しいですよね」
と、毛倡妓もまた少し笑った。そのあと、できればそのままのリクオ様でいてほしいです。大人になられるのは嬉しい反面寂しいですから。と付け足した。
僕には親がたくさんいるみたいだ。
冷めた緑茶の水面を見ながら考えを巡らせる。明日、吉高さんにどんな顔しよう。普通に笑って挨拶していいのだろうか。あのときの吉高さんの表情を、ゆっくりと、鮮明に思い出す。僕はかつてあんな表情を人に浮かべさせたことはあったろうか。こっちが引き裂かれそうになるような、繊細な表情。ああ、やっぱりこういうの苦手だ。人間関係がぐにゃってなるこの、なんともいえないこの感覚。
僕はもう小学生のころ十分に学習した。
「リクオ様は明日、普段通りに接して下さい。きっと彼女もまだ諦めてないでしょうから。女は執念深い生き物ですよ!」
あれ、心読まれた。
「はは、確かに毛倡妓も執念深いよね」
「当たり前よ!んじゃなきゃやってらんないわ!」
そうなんだ…?
でも2人が言うならそうなのかも。僕よりずっとずっと長く生きているし。ばあちゃんの知恵袋どころでは済まされない。
やっぱり敵わないなー、僕にはわからないことがいっぱいわかるんだ。2人は飄々としながらしっかり周りを見て、長く生きている。
それにしてもあまりにも毛倡妓らしい、斬新できっぱりした結論の纏め方が面白くて、だいぶ気分が晴れた。結局、普段通りでいいんだな。女の子が執念深いとか、それはよくわからないけど、まあよしとしよう。
「ありがとう!2人ともごめんね、こんな話に付き合わせて」
「いえ、リクオ様の為なら朝まで付き合いますよ」
にっこり笑う首無に僕も笑顔を返して、その場は御開きとなった。
「若ー…、吉高恵美からなにを言われたんですかー?」
「うわっ!つらら!」
「化け物見たみたいに驚かないで下さい!」
化け物ではないけど、妖怪でしょう君は。
「なんでもないよ、つららにはかんけーない!」
「かんけーありますー!」
いつになるやら
(雪女の想いが叶うのはまだまだ遠そうだな)(リクオ様に恋をするのも骨が折れそ
うね)