「私、芭蕉さんが羨ましいです」


私は堪えきれず口にしていた。
今までの会話の流れにそぐわない言葉に、芭蕉さんは虚を突かれたように声を出した。
それはそうだ。縁側に二人で座って庭を眺めて、ただの世間話をしていたはずだったのだから。


「へ…どうして?あっハンサオだから?」

「いえ、そうじゃなくて…」

「松尾ばしょんぼり」


精神的に余裕の無い私は、否定の言葉に項垂れた芭蕉さんに対して、
言い訳も慰めも無しに、独り言のようにぽつりと呟く。


「だって、曽良さんにかまってもらえる」

「え、えぇー…。でも曽良くんの断罪チョップとかすごく痛いんだよ!?」

「それでもいいんです」

「ぇ、ちゃんってそういう趣味なの?」

「ちっ、違います!」


芭蕉さんの的外れな質問に今までの雰囲気が崩れた。
私はそれまで、微かな声で淡々と答えていたのだが、
溜め息と共に吐き出すように、投げやりに言った。



「そうじゃなくて、もっとこう、しっかり見てほしいんです。」



あ、今の言い方曽良さんのがうつったみたいだ。
そんなことを思っていると本人の声が背中から聞こえた。


「何を見てほしいんですか」


「わっ!曽良くん!いつからいたの!?」


芭蕉さんは、跳ねるように後ろを振り返ったせいで、手に持っていた湯のみから、お茶が少しこぼれた。
私は驚きと、今の会話を全て聞かれていたのではないかという危惧で、
振り返ることも声を出すこともできなかった。



「あー…私ちょっと用事思い出しちゃった!ってことで急ぐから!松尾急ぎ!」


そう言って、芭蕉さんはパタパタとどこかへ駆けていってしまった。
気を利かせてくれたのだろうけど、なにせ嘘を吐いたりするのが苦手な芭蕉さんだ。
わざとらしくて、逆に気まずく感じた。
曽良さんも芭蕉さんの嘘に気づいてだろう。
隠しもせず舌打ちをした。

そのまま立ち去るのかと思っていたら、曽良さんはさっきまで芭蕉さんがいた場所に腰をおろした。
そして、芭蕉さんがほとんど手のつけていなかった湯のみを手に取ると、冷めたような目で庭を眺めた。
わずかな沈黙でさえも、押しつぶされそうに感じて、私は取り留めの無いことを話していった。
曽良さんはそれに対して、いかにもどうでもいい、といった風に一言返す。


「ねえ、曽良さん。今日は空が綺麗ですね」

「そうですね」


「ねえ、曽良さん。そこの牡丹がやっと花開いたんです。美しいものですね」

「えぇ」


「ねえ、曽良さん。…私……。」

「何ですか」


そこで初めて言いよどんだ私に、
実際気に留めていないのだろうけど、曽良さんが形だけの質問をする。



「私、縁談が来てるんです」


「そうですか」



曽良さんは何の感動も興味も無いというような声と表情でお茶を啜った。
嗚呼、まただわ。こんなことなら不快な顔をされたほうがまだまし。曽良さんの感情を動かすことができるのはきっと、芭蕉さんの俳句だけ。私がどれだけ話しても、芭蕉さんが紡ぐたった十七文字の言葉(芭蕉さんはしょっちゅう五七五を忘れるけど)には死んでも勝てない。


私が死んでも曽良さんはやはり同じ顔のままなのだろう。きっと私は文字通り『死んでも』彼の心を動かせない。そう考えると私は泣きたくなった。悲しいなんてものじゃかった。悲しみの炎に焼かれて涙と一緒に溶け落ちていってしまいそうだと思った。いっそのこと、それも悪くないかもしれない。


「ねえ、曽良さん。もし私が死んだら、」


「死ぬんですか?」


曽良さんが遮るように予想外の問いを口にした。予想外というのは質問の内容じゃなくて、質問されたこと自体にだ。いつも私が一方的に話しかけて曽良さんはそれに適当な相槌をうつだけだから、答えることも忘れて、ただ曽良さんの顔を見つめてしまった。曽良さんは顔をこちらに向けてまっすぐに、私の目を見て言った。


「病にでもかかったのか、と聞いているんです」


「あっいえ…そんなんじゃないんですけど…」


「そうでしょう」と曽良さんは返ってくる言葉をわかっていたように、また前を見てお茶を啜った。曽良さんがわざと遮るように言ったのは、この質問をされることに対しての拒絶が潜んでいるのだろうけど、私は懲りずにまた曽良さんに訊いた。


「もし私が死んだら、曽良さんはどうしますか?」


「――…さあ」


やっぱりね。わかってた。こんな風に言われることくらい。強がるように、自分に言い聞かせるように言葉を積み上げた。それでもやはり、胸の奥では心の臓が鉛になったかのように重く沈みゆく。私は膝の上で自分の両手に包まれた湯飲みに視線を落とした。お茶の表面がゆらゆらと揺れながら僅かながら日の光を反射して、時折表面が白く煌めいた。

私はそうして泣きそうになるのを曽良さんに気づかれないようにしばらく下を向いていた。静かだった。当たり前だ。曽良さんと二人の時は、私が話さなければ常にその場は静寂だ。私が再び口を開くまで続くと思われていた沈黙は、曽良さんの低く感情の無い、でもなにより麗しい声で破られた。


「まぁでも、悲しむぐらいはしてあげますよ。」


「…え…そ、曽良さ――」


曽良さんはまたも遮るように口を開く。曽良さんにしては珍しく捲くし立てるように、長々と話した。


「――大体、さっきから貴方はごちゃごちゃと五月蝿いんですよ。もし死んだらなんて、そんな仮定の話をしたところで何になるんですか。貴方は今現在、此処に生きているじゃないですか。二度と、そういう死んだらなどといった話はしないで下さい。不愉快です。」



私は、曽良さんがそんな風に多弁になるのを見たことが無かった。
だから、怒らせてしまったという恐れより、驚きと困惑の感情のほうが大きかった。
曽良さんは深く溜め息を一つを吐いてから、また庭を正面として、目を瞑ってお茶をすすった。
そして、お茶を自分の隣にコンと乾いた音を立てて置いた。
その静かで優雅な所作を見ると、もう、いつもの曽良さんに戻ったようだ。
でも、瞳はいつもと違うままの色をもったままだと感じた。
曽良さんは、少し先に咲いてる牡丹に目を向けたまま、目の前の空間にいつもの調子で話し出した。



「曽根崎心中という話があります。知っているでしょう」

「はい。あらすじ程度なら」


曽良さんの意思が見えない問いかけを、不思議に思いつつ、簡単に答えた。
でも、私の返事は予期していたことらしく、そのことに関しては何も語らなかった。
曽良さんの意図の分からない言葉は続いた。


「もし、貴女の縁談がどうしても断りきれないというなら、僕のところに来なさい」

「え…?」

「わかりましたか。わからないんですか」

「…わかりました」

「そうしたら、曽根崎へ向かいましょう」

「それは…どういう意味ですか?」


曽良さんはゆっくりと私を見た。
普段の感情の無い冷たい瞳じゃなくて、強い意志と熱情を感じる焦がれるような瞳。



「僕にはそれほどの覚悟があるという意味です」




プロポーズをも超えた殺し文句。





あとがき。
時代的に曽根崎心中の時には、芭蕉さんはすでにこの世にはいないのですが…
気にしたら負けかなって…←

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