彼の足が私の腹を蹴る鈍い音が、部屋と体のなかに響いた。その音は、何度も繰り返されいて、もう今のが何回目かなどわからなくなっていた。


「ふざけるな。誰が僕以外と話して言いなんて言った。」

「お、におくっ…ゴホッ…ゴホ…」


蹴られるたびに、息がつまり、咳き込む。それが気に入らないのか、彼は苛立ったように舌打ちをする。床に転がっている私を、髪を掴んで無理やり床から顔を持ち上げる。ぶちぶちっ、と髪の抜ける音が聞こえた。痛みのあまり、声とも言えないような悲鳴が口からこぼれた。


「お前は僕だけを見てればいいんだ。」


彼が髪から手を離すと、私はもはや手を着く気力もなく、頭から倒れた。彼の手から、私の抜けた髪が、はらはらと落ちた。朦朧としながら、彼を見上げると、同じように私を見下ろしていた。その眼には、まるで獣のような暴力の匂いがちらついていて、私は恐怖を感じてしまった。




これは、きっと世にいうDVだ。ドメスティックバイオレンス。
脇腹の痣も、腕のあちらこちらに散っている赤い火傷も、この肩の傷も、全部彼がつけたものだ。

でも、この人が本当に苦しいのを私は知っているから、離れようとは思わないのだ。思えない。若くしてこの地位までのぼりつめた彼は、周りから浴びせられる誹謗や中傷にどれだけ傷ついたのか。今の地位にいるのは実力じゃなくて、裏で手を回しただとか、鬼の中でも珍しい褐色の肌や銀髪の色さえも彼を非難する格好の理由になった。

もし私が離れたら、この人は壊れしまう気がする。今でも、こうやって暴力を振るうことでしか、自分を保っていられないのだから、彼が既にまともじゃない事くらいわかってる。きっと、狂っている。




彼は私の肩を掴んで上半身を起き上がらせた。肩に何か温かいものが伝っていった。多分彼の長い爪が食い込んで、切れて血がでているのだろう。彼は、掠れた声で叫びながら、私の頬をその手のひらで打った。何回も何回も私を殴りながら、叫んだ。


「他の誰とも話すな!誰にも触れるな!僕以外に笑いかけるな!」


すでに狂っていると分かってはいても、もし本当に彼が一人になったら、本当に人の形じゃいられないくらい壊れてしまう気がするのだ。そんなことはあり得ないなんてこともわかってる。自分がいかに馬鹿げているかも。

いくら周りに何を言われようとも、彼から離れるなんて選択肢は私の中には存在しない。




少し時間が立つと彼は急に動きを止めた。目を見開いて、目の前の私を信じられない光景を見たかのように、怯えたような目の色をした。そして震えた小さな声で叫びながら床にうつぶせになっている私を優しく抱きしめた。親に怒られた子供みたいに、ひたすら謝り続けた。


「ゴメン…僕は何てことを…ゴメンね…、ゴメンね…」


さっきまで、私を殴っていた手と同じ手で、今度は優しく私の頭を撫でた。そして、迷子の子供みたいにひどく頼りない声で泣いて、もはや、抱きしめているというより、しがみついているかのように私の背中に回している手を強くした。


「君じゃなきゃ駄目なんだ。お願いだ。どこにも行かないで…僕の傍にいてくれ…!」


こんな事を何度されても嫌悪や憎悪の感情が微塵も浮かばず、それどころか、こんなにも彼を愛しいと感じる私もきっと、彼と同じように、狂っている。


「大丈夫だよ、鬼男くん。愛してるよ。アイシテル。」




狂おしいほど愛しい。



彼も、私も、とっくにもう、まともな愛し方など忘れた。






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