「じゃあ、バイバイ。臨也」


最後には、泣きそうな無表情でそう言って、イルミネーションの瞬く街を歩いていった。
いつもと寸分変わらない別れ際の言葉。でも、これで聞くのは最後になる。

さっきまで、冬の乾燥で少し荒れたの手を握っていた俺の左手が外気に晒された。
段々と空気に奪われてく熱に、今日の風は寒かったのだと気づいた。

そういえば、こういう風に誰かが立ち去るのを見送るのは初めてな気がする。
呆然と立ち尽くす人間や泣き叫んでいる人間を背に立ち去ることはあっても、小さく小さく見えなくなっていく後姿をただ黙って見つめることは無かった。

結局、は一度も振り返らないまま街の雑踏に消えた。






真冬の繁華街には人が溢れていた。
俺は一人、新宿のマンションまでの道を辿る。
さっきまでは、目に映る人達のように寄り添って、手を繋いで歩いてた。
ほんの少し前の、今のこの状況の原因になった会話を思い出した。


二人で大通りをとくに目的も予定も無くぶらぶらと歩いていると、
は少し潤んだ瞳で白い息と別れの言葉を吐いた。



「もうさ、会うのは止めにしようよ」


「ごめんね、ちゃんと愛してあげられなくて」


「今までありがとう」




俺はただ、の発する一言一言に頷いて、最後に「わかった」とだけ言った。
はとうとう一粒だけ涙を零した。でも、その雫は薄紅色のマフラーにすぐ染みて消えた。

理由はも言わなかったし、俺も聞かなかった。
他に好きな男が出来たのかもしれないし、俺の決して良いとはいえない噂を聞いたのかもしれないし、
ただ単純に俺に愛想が尽きたのかもしれない。
調べようと思えば調べられることだろうけど、知りたいと思えなかった。

言葉を交わして、触れ合うようになってから、俺はのことを調べることはほとんどしなかった。
知りたくないわけでは無かった。
むしろ全てを知り尽くしたいと思っていたけど、携帯やパソコンや人の媒体を通したの情報には価値を感じることができなかった。



気がついたらマンションの前にいた。
特に意識をしなくても、慣れた足はいつもの道を勝手に歩いて俺をマンションまで運んでくれたようだった。
俺は自分の部屋に向かいながら、また意識を思考の下に埋めた。



別に、どこが優れた人間でもなかった。
ただ、ポツリと呟くような少し音痴な鼻歌が好きだった。
カラーとパーマのせいで少し痛んだ髪も、すぐに涙で濡れる瞳も好きだった。
キスをするときに、ネコみたいにキュッと目を瞑る癖も、抱きしめると恥ずかしがって何も話さないくせに、俺の服を強く握り締める右手も好きだった。



目の前にある自分の部屋の扉を開ける。
いつもの黒い革張りの椅子に腰を下ろし、そのまま背もたれに背中を預ける。
そして反転して、壁一面のガラスの向こう側に目をやる。
あ、雪。あぁ寒そうだ。
目の前に雪を見ながら他人事みたいに思った。
というのも、高級といわれるレベルであろうこのマンションは空調設備まで完璧で、中に入ってしまえば外の寒さなんて忘れてしまうほどだからだ。


今日、は手袋をしてなかった。寒くはないだろうか。
そんな考えが頭によぎった自分に驚いた。思考が止まった。
そんなことまで――手袋をしていなかった、なんてことがまだ記憶に残ってるなんて。
興味がなくなった人間は顔ですら、たった数分で忘れるというのに。

――ははっ、まだ興味は尽きてないってことかな……




なんとなく鼻歌を歌ってみた。
よくが歌ってた、何年か前のドラマの主題歌。
はサビしか覚えてないのか、いつも同じフレーズを繰り返してた。
が歌うよりよっぽど音程もあってるし、サビだけじゃなくてちゃんと最初から歌ったのに、
それはただの音の集合体でしかなかった。
どうしたら、音にあんな風に優しさをのせられたんだろうか。
今度また歌ってもらおう。
そこまで考えて、もう会う予定が無いことを思い出した。




俺は興味が無いものは、全て全て忘れる。
いつか街で偶然すれ違っても、多分俺は気が付きもしないで通り過ぎるんだろう。
きっといつか興味が無くなったら、名前や顔ですら忘れてしまうんだから、
この手にあった温もりなど跡形も無く、まるで存在しなかったかのように、消え去ってしまうんだろう。


でも、できることなら、


「忘れたくないなぁ…」


そういって、左手を握り締めた。
一度外で冷やされていたはずの手の平は、部屋の暖房でまたぬくもりを取り戻していた。
まるで上書きされたみたいで、もう、の体温は上手く思い出せなかった。





上書きされた温度。





あとがき。
人間らしい臨也さんが書いてみたかったんです。
見事に「誰?」ってかんじになりました←
ミスチルの『over』という曲を聴きながら一気に書きました。
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